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年末年始にはこの板の軍団構成員諸兄も多く九州へ赴きブルトレを記録したとの話であるが、その九州と言えば私にとって思い出深い『三井三池鉄道』の話題も忘れてはならない魅力的なコンテンツの一つであろう。
そんな訳で今回は昔話に少々お付き合い頂きたい…。
あれはもう10年少し前、当時日本最大の炭鉱『三井三池炭鉱』が閉山した…。1997年3月のことである。九州北部地域の歴史において筑豊・三池といった炭鉱の隆盛は切っても切り離せない存在である。
九州北部に多数存在した炭鉱から採掘された石炭は運炭路線として発展した鉄道網を辿り、官営八幡製鉄所(現:新日鐵八幡)での製鉄に使用されたり、または国鉄直営の志免炭鉱(福岡県粕屋郡志免町・旧:勝田線の終点)の石炭はそのまま門鉄局の蒸気機関車の動力源となっていたりもした。
富国強兵の思想から第二次世界大戦へ道程と重工業の発展・物流を担う鉄道路線網の強化、そして敗戦後の産業構造の変化、石油燃料へのシフトによる炭鉱の閉山、次々と廃止される鉄道路線…。まさに九州北部地域の歴史はそのまま我が国 日本近代史の縮図といっても過言ではない。
流石に年齢的に国鉄現役蒸気や筑豊エリアのローカル線廃止には間に合わなかった私ではあるが1990年代後半の当時でも操業中の三井三池炭鉱の存在を知り、同時期に傾倒していた共産主義・プロレタリア文学や戦後最大の労働斗争といわれる三池争議への興味と相まって三井三池に幾度となく足を向けたのである。
石炭産業華やかなりし頃の最盛期に比べれば明らかに斜陽化し寂しさは隠せない…というのが初めてJR大牟田駅に降り立った時の印象であった。福岡県と熊本県の県境 大牟田と荒尾にかけて、一大鉄道路線網を擁していたのが『三井三池鉄道』である。大牟田駅から南西へ約2.5㎞程の所に拠点となる三池港駅があった。

1996-12-30 三井三池鉄道 三池本線 三池港
NikonF4S+Nikkor80-200㎜F2.8ED PKR
活動家がピケを張り三池争議の熾烈な斗争の舞台となった三池港も今や静寂に包まれていた。ここ三池港は三川坑から採掘された石炭をホッパーを介して石炭車に積み込む拠点である。石炭の匂いが立ち込める構内は炭塵でバラストも真っ黒、"炭鉱のハトはカラスのように黒い"という逸話もある程だ。戦時標準設計の東芝製45t機 20・21号機を先頭に2軸石炭車セラを従えてホッパー線で荷役中の様子。東芝製凸型電機は他に伊豆箱根や名鉄に同系列が僅かに残るのみという貴重な古典ロコである。

1997-3-30 三井三池鉄道 三池本線 三池港~四ツ山
NikonF5+Nikkor80-200㎜F2.8ED RVP+1
三井三池鉱山閉山当日も黙々と運炭列車は走っていた。現存する旭町支線の宮浦地区を除けば、末期は三池港から四ツ山にある三池火力への石炭燃料輸送のみとなっていた。三池火力とは三井関連の自社事業所で消費する電力を火力発電所で石炭を燃料に自社発電していた施設である。
今回はとりあえず昔話はこの辺で…。続編では2009年の今現在も凸型電機が活躍している旭町支線の宮浦地区について書きたいと思います~。
九州ブルトレ撮影のついでに是非訪れてみてはいかがでしょうか!?
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