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いつも松倉を応援いただいております。この度は、4月30日の松倉義明が挑戦いたしました
日本Sフライ級王座決定戦に多大な応援、ご声援を賜りまして誠に有難うございました。
松倉は試合出場が決まりました、3週間という短い期間で8キロを越える減量を伴う、苦しい
練習期間を乗り越えて来ました。常に室内温度を30度以上に保った真夏のような湿気と熱気に
包まれたジムでの過酷な練習中には、立ったまま気を失い仰向けに倒れたことも何度かありま
した。水すらも口にできない日も何日かあり、松倉にとりましてはこの3週間の減量期間は
想像を絶する苦しみの日々だったと思われます。しかし、松倉は今まで皆様に頂戴してまいり
ました応援をこの苦しみを乗り越える糧として耐えてまいりました。試合当日は皆様への恩返し
にと命を捨てる覚悟でリングに上がっていきました。結果は5R,減量に弱っていたボディーに
パンチを合わされ倒れましたが、ここでも立ち上がろうと必死に頑張りました。減量に苦しんだ
松倉のボディーは想像以上に弱っているにもかかわらず、立ちあがろうとした松倉の気力を
支えたのは、まさに今まで応援下さった皆様へ恩返しをしたいという執念に他なりません。
残念な結果でしたが、試合全般を通しての松倉の気迫は会場の皆様に届いたことと思います。
まさに、その気迫こそが松倉の皆様への恩返しだったと思います。チャンピオンベルトを
巻いて後楽園ホールに帰ってくることが、東京で待っていてくれる松倉ファンへの恩返しと
心に誓っていた松倉でしたが、もうすでに30才を越え力が衰えているのは確かなことです。
沢山の激励をいただいたファンの皆様への恩返しは叶いませんでしたが、松倉は皆様に支えて
いただき最高のボクシング人生を歩んでくることができました。ここで、グローブを壁に
吊るさせてやりたいのですが、皆様はいかがでしょうか。
松倉が日本チャンピオンになった1997年10月、松倉はその栄光と引き換えに苦しい現実を
背負うことになってしまいました。松倉はその苦しみを3年以上もの長きに渡って背負い続けて
きたのです。1日もその出来事を忘れた日はありませんでした。その不幸な出来事の彼のために
ボクシングを続けてきました。チャンピオンベルトを彼の墓前に持っていくことを使命として、
全ての欲求を我慢してボクシングを続けてきました。力が落ちてきていることを悟りながらも
必死にその使命を果たそうと努力を続けてまいりました。温かいファンの方々から、それは
それは沢山の激励をいただきました。その全てに松倉は応えようと歯をくいしばって、この
3年間を歩んでまいりました。チャンピオンに返り咲くことはできませんでした。そして
彼の墓前にチャンピオンとして再び顔を出すことはできませんでした。応援くださった皆様の
夢だったチャンピオンとして再びリングに上がることはできませんでした。しかし、松倉が
チャンピオンだったという事実は変わりません。皆様が応援してくださった松倉は皆様のことを
忘れた日は一日もありませんでした。この日、リングに上がって降りてくるまで皆様の期待に
応える努力を松倉は最後まで続けました。皆様の夢を叶えることはできませんでしたが、
松倉は皆様にとって最高のボクサーの一人と言っていただけるでしょうか。もし、そう言って
いただけるなら、松倉は全てを忘れることができると思います。皆様のご支援に支えられ
ここまで歩んでこれましたことに心より感謝申し上げますとともに皆様に改めまして御礼を
申し上げます。誠に有難うございました。
皆様に支えていただいたことが松倉がボクシングを続けてこられる原動力ではありましたが、
皆様の心に残る最高のボクサーの一人として松倉が永遠に皆様の心に居つづけられますよう
祈って・・・。
有難うございました。
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